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　4月から6月頃、雨季の前の北インドは暑い。摂氏45度、全身に巨大なドライヤーを絶えず吹きかけられたよう、そのうち意識も朦朧としてくる。耕地はひび割れ、草木も干乾びきって、人々は屋内や木陰に死んだように横たわりひたすら雨の到来を待っている・・・。
　そんな熱暑期はインドの魔の季節、暑さで疲弊し、判断力を消耗した時期には何かが起きる、と思わず感じてしまったのが、デリーの猿男騒動。渦中のデリーに居たために、地元の皆さんとこの珍事を共有して帰国したら、日本ではスポーツ新聞までが面白可笑しく取り上げ、広く知られていた。
　5月の半ばからデリー首都圏の周縁部の、低所得者居住区で点々と被害が報告され、拡大していった謎のモンスターによる住民襲撃事件。2メートルを超える身長、ものすごい跳躍力、毛むくじゃら、鋭い歯と爪、胸元に緑と赤の光（ウルトラマンか！）などなど。この時期、屋内の暑さから屋上や家の前に寝台を出して眠るのはごく普通の習慣だが、夜間は停電の多い地区で暗闇に寝込みを襲われ、まともな目撃例は実は無し。死者が出たといってもパニックで階段から落ちたり、心臓発作を起こしたりと、猿男が原因ではない。今日はどこへ出るか、と無責任な期待族も。夏休み中の子供たちは「猿男自警団」を名乗って夜更かしし、寝ぼけた家人に蹴飛ばされてパニックになった家から集落中が騒乱になったり、髪染め後の手袋を外に捨て「猿男の脱皮した皮だ」と騒動を引き起こし逮捕されてしまった間抜け者・・・。当事者は真剣だけれど、聞く限りでは笑っちゃう、いかにも日本のスポーツ新聞が喜びそうな、妙な国インド、らしい事件。
　でもこの事件、笑って済ませられない事情もある。低所得者の居住環境の悪さを突いた被害、便乗犯罪の危惧、放っておけば笑い事ではない社会不安の種になる。実際、差別主義者や反政府勢力の陰謀説も流れている。
　150年程前、教科書では「セポイの反乱」として出てくる1857年のインド大反乱の発端もこの時期。暑さにうだる北インド平原を、村から村へチャパティーを焼いて廻すという謎の行為が伝わっていった。そしてイギリス軍で奉職するインド人兵士の中に、銃の銃弾に防湿油として豚や牛の脂が使われているというショッキングな噂が広まり、装填時に歯で噛み切って使うため、宗教的に穢れたと怒った彼らの反乱が始まる・・・。熱暑のヒステリア、猿男騒動に何かがつながってるかも・・・。
　口にしたら穢れる・・・、こちらはマクドナルドのフライドポテトが「100パーセント植物油使用」のうたい文句に反しフレーバーとして牛エキスを使用していたと、アメリカのヒンドゥー教徒のインド人が同社を訴えた。ワシントン州にはマイクロソフト本社をはじめ、インド人が大活躍する有力企業がある。私も、子供に「子供はアメリカ生まれなのだから、せめてマックのポテトくらいは」と与えていた純菜食主義の一家を知っている。メールで問い合せたら、ショックを受けていると返事してきた。インドのマクドナルドはさすがにフレーバーの件は別メニューになっていたらしく、インド販売分には問題ないと必死になって弁解したが、インドのマック各店には保守派のデモ抗議が押しかけた。やりすぎなんじゃないの、と思える？とんでもない、たかがフレーバーと言っていられないのは、インドネシアの「味の素」の時も同じだった。
　富山で、ほんのいやがらせでコーランを破いたどこかのチンピラも、全国のイスラム教徒が外務省まで抗議の大行進をするなどとは想像していなかったらしい。もし世界10億のイスラム教徒を敵に廻したら、どうやって責任を取ってくれるのだろう。熱情とヒステリアはほんの紙一重。

目次

・南アジア地誌事典・第64回「ペダナ (Pedana)」（山田桂子）
・インドの植物「バーリイバウヒニア」（西岡直樹）
・「今、本当にほしいものは仕事です」被災地の女性は語った：インド西武大地震の被災地を訪ねて（藤川和美）

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