ガラム・ニュース

デリー＝ラホール 直行バス走る
　今年(1999年)1月8日、長らく途絶えていたインドとパキスタンを結ぶ直行バスが復活！　最初の便がラホールに到着した様子が日本のマスコミにも報道されました。約450kmの旅程を、朝昼晩3食の時間も入れて12時間かからないバスの旅、インド側の料金は食事つきで片道600ルピー。パキスタンから帰るバスもデリーに無事到着し快適な道程だったようです。
　これを聞いて、さっそく今度の旅行でトライしよう、と思ったバックパッカーの皆さん----残念ながら、これはまだ試運転で、定期サービスの実現は早くても2月20日。また、利用者も分断家族の故郷訪問や二国間の国際ミッションが想定されていますので、外国人観光客がどのくらい利用できるようになるかはまだ不確定です。デリーから国境までが約425km、国境からラホールが25kmですので、パキスタン国籍のバスがインド国内を安全に旅行できるのかなど、まだ不安もたくさん残されています。もともと国境などなかったパンジャーブ平原を横断する道、早く乗ってみたい...(1999.2.1)

ベンガルの歓び限りもなし：
アマルティヤ・センのノーベル賞受賞

　インド人のアマルティヤ・セン(Amartya K. Sen)教授が今年度のノーベル経済学賞を受賞！　インド人のノーベル賞受賞者はこれで6人目（うち4人はベンガル地方出身および在住者。残りは外国籍）だそうだが、経済学賞では初めて。いやアジアで初めてのノーベル経済学賞がセン教授なのだ。名前からわかるように生っ粋のベンガル人で1933年生れ。現在はイギリスのケンブリッジ大学トリニティー・カレッジの学長である。というと西洋化したインテリを思うが、インド人から見ると彼は相変わらず「とってもベンガル人」なのだそうだ。
　経済学賞なんて私には関係なさそう...と決め付けるのは早い。確かに図書館で彼の著作の邦訳を探すと、倫理、徳、不平等、合理的な愚か者など、ちょっと心惹かれるキーワードが出てくるのに、本を開くとわけのわからない数式が溢れていて、あ、これはダメ、と本を閉じるはめになる。しかしそれは邦訳が偏っているだけの話。彼の経済学での貢献は生活の質をあらゆる側面から見つめ直して、所得の分析だけに偏った現在主流の経済学を蹴散らしたところにある。その成果を分かりやすくインドなど南アジアの社会、経済分析に応用した業績もたくさんある。
　例えば飢饉。幼少時の彼の心に深く刻み込まれたのが1943年のベンガル大飢饉。その体験から、飢饉発生の真の原因は食料の生産不足ではなく、食料の分配、とりわけ階層によって食料を得る能力が喪われる（失業や賃金の低下など）ことにあるという理論の大転換を生み出した。バングラデシュ独立直後の飢饉も同じような見方で説明できることを、彼の著作は活き活きと（数式も使わずに）描き出している。
　最近の研究では、性差別、教育の質など、インドとその周辺国が抱える社会的大問題に正面から取り組んでいる。女性は生物学的には頑丈に作られているはずなのに、南アジアでは女性の人口比率が地球上で際立って低い。これを性差別がもたらした「喪われた女性たち」(missing women)と呼んだ、彼のセンスある表現についてはどこかで聞いたことがあるのでは。彼は哲学者でもあるのだ。数学と哲学の折衷した経済学なんて、さすがインド人、ベンガル人！
　ノーベル賞受賞を契機に、セン教授の南アジア経済・社会に関する業績が日本はもちろん世界中でもっと紹介され、その含蓄深い分析が現地での実際の開発に活かされてほしい。それから誰にも読みやすい邦訳本の登場も！ (1998.11.1)

Amartya K. Sen: 経歴

1933年生まれ
1953年カルカッタ大学学士号
1955年ケンブリッジ大学学士号
1959年ケンブリッジ大学博士号(Ph.D.)
1980-88 Drummond Prof. of Political Economy, オックスフォード大学
1978-84 Prof. at Large, コーネル大学
1988-97 Lamont University Professor, ハーバード大学
1997- Master, Trinity College, Cambridge University

　アマルティア・センは経済学理論の革新に大きく貢献するとともに、アジアの開発問題へのユニークな研究アプローチで知られる。彼の経済学理論での貢献は、特に社会的選択の理論、厚生経済学、開発経済学の３つの分野で抜きんでていて、現在これらの分野の専門的研究は彼の業績抜きには語れない。センのアプローチは、経済学の拠ってたつ哲学・倫理学にまで遡り、オリジナルな概念に基づく自らの経済学を創造している。この貢献により、アジア人として初のノーベル経済学賞授賞も近いと噂されて、早10年、遅すぎた受賞ともいえる。
　彼のアジア地域研究への最大の貢献は、「ケイパビリティー」アプローチによる一連の開発経済学での研究であろう。「ケイパビリティー」とは「ある人が経済的、社会的、および個人の資質の下で達成できる様々な選択的な機能の集まり」と定義され、これまでの経済学の「効用」概念を脱皮する新たなパラダイムを意味する。彼はこの分析ツールを用いて、インドと中国に特に焦点を当てつつ、貧困や飢饉の分析を行っている。これまでの貧困・飢饉分析が物的な不足にばかり着目していたのに対し、センは生活の「質」とそれを保障するさまざまな制度にむしろ着目する。明快で、全く新しい視点を提供し、かつ重要な政策含意を持つセンの分析とその問題提起は、単なる成長指向の経済開発戦略を世界的に見直す重要な契機となった。

代表的著作（その大部分が邦訳あり）

Collective Choice and Social Welfare (1970, Amsterdam: North-Holland).
On Economic Inequality (1973, Oxford: Clarendon Press).
Poverty and Famines (1981, Oxford: Clarendon Press).
Choice, Welfare and Measurement (1982, Oxford: Blackwell).
On Ethics and Economics (1987, Oxford: Blackwell).
Hunger and Public Action [with Jean Dreze] (1989, Oxford: Oxford U. Press)
India: Economic Development and Social Opportunity [with Jean Dreze] (1995: Oxford U. P.).
Dreze, Jean, and A. Sen (eds.) (1996), Indian Development: Selected Regional Perspectives (1996, Oxford University Press).

紹介『インド--経済発展と社会的機会』

Jean Dreze and Amartya Sen
India: Economic Development and Social Opportunity (Oxford Univ. Press, 1995)

１．本書のねらい

　インドにおける経済発展を、経済的機会・社会的機会に焦点を当てて、国際比較、国内の地域比較を通じて分析する。ヒューマン・ケィパビリティー(human capability)をいかに改善させるかがキーワード。個別論文集(Dreze and Sen eds. [1996])と補完的関係にある一般向けのモノグラフ。
　独立時にネルーが掲げた「貧困、無知、病気、機会の不平等の終焉」は達成されたか？近年の経済自由化はその達成という目標に対してどのような含意を持っているか？

２．本書の主要な主張

a.基礎教育(basic education)（および基礎保健basic health）の普及の失敗が決定的

・人的資源(human capital)論への根本的批判：教育と保健はそれ自体が価値(intrinsic importance)。可能性や選択の自由につながり(instrumental personal roles)、社会参加を高め、empowermentと世帯内再配分を進めるなど、「社会的選択」の幅を広げる。経済効率面での人的資源の側面はinstrumental rolesの一つにすぎない。
・国際比較、州間比較：ケララ、中国、南インド、北インド、チベット
・教育と不平等の負の相関
・学校の「質」と政府支出
　→　政府の十分なレトリックと不十分なコミットメント それを見逃して来た地域社会、世論、etc.

b.ジェンダー間の不平等

・女性・男性人口比率（"missing women"）：地域差と宗教差
　　二つの誤解＝女新生児殺し、ムスリムの女性蔑視は数量的にほとんど関係していない
・教育との相関：
　　地域差と宗教差＝ケララ、ヒマラヤ地域（HP、マニプール、メガラヤ）の成功
　　学校の質の低さは女性に不利に
・カーストとの相関
　　従来低カーストのほうがジェンダー間不平等は小さかったが、経済成長につれ不平等
　　な方向に均質化(サンスクリタゼーション)
・"women's agency"（教育、所得など、女性の家庭内及び社会内での発言力を高める経路
　　全般を抽象化）の欠如
women's agency改善 →　乳幼児の生存の性差を縮小；生存率上昇　→　出生率低下
# 中国の強制一人っ子政策とケララの出生率低下の度合

c.政治・社会運動の役割：いかにして社会部門政策に政府をコミットさせるか

・"public action"
　　＝政府のコミットメントを引き出す大衆運動・マスメディア・司法etc.／政策実施を
　　　　草の根で監視する末端民主主義(local democracy)／非政府の社会改革推進
←→　これらを不可能にするのが基礎教育の遅れと経済的・社会的不平等
・基礎教育が持つempowermentとredistributive効果の重要性（cf.土地改革）
・ケララ州の経験は多地域に移転可能か？（UP vs. Kerala vs. WB)
　　遺産：歴史、母系制etc.　←→　政治的組織化の重要性、マラバールの統合
・パンチャーヤート改革の意義：現在のインド農村政治の失敗を修正する一つの機会では
　　あるが、基礎教育と不平等の解消なしには効果が薄い

３．インド経済自由化に対するセーンの見方

・東・東南アジア、特に中国の経済高成長は、基礎教育、基礎保健の普及、ジェンダー間不平等解消、土地改革などがかなり進んだ後の経済開放で実現している。これらの大衆に基盤をおく経済発展の必要条件がインドでは整っていない。

・技能集約産業主導の高成長は続くだろうが、教育制度の不平等はその経済成長の恩恵を大衆にもたらさない点で、東アジアの成長プロセスとは異質となるだろう。むしろブラジル型に近くなろう。"even if India were to take over the bulk of the worlds's com-puter software industry, this would still leave its poor, illiterate masses largely untouched" (p.39)．

・非生産的な規制・規則を除去し、国際市場が提供する経済機会をもっと活用することは一般に望ましい。しかし、市場排除的(market-excluding)経済政策の修正という意味での経済自由化成策は、市場補完的(market-complementary)な社会部門開発政策なしでは真の成功をおさめられない。インドでは後者が絶対的に不足しており、単純なpro- vs. anti-market の二分法を超えた state action と public action の強化が必要である。

・現在の経済自由化成策は、経済発展における基礎的ケィパビリティーの重要性と、その推進に果たす政府の積極的役割を無視してきたインド政府の伝統を継承する。その意味で現在の路線は一般に思われているほどラディカルな路線変更ではない。

センのケィパビリティー・アプローチに関する簡単な日本語での文献

絵所 秀紀 (1994) 『開発と援助：南アジア・構造調整・貧困』同文館．
絵所 秀紀 (1997) 『開発の政治経済学』日本評論社．
山崎 幸治 (1996) 「やさしい開発経済学：発展とは何か--生活水準、社会厚生と価値判断--」『アジ研ワールド・トレンド』1996年9月号．

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